あいたいAAB

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いまが踏ん張り時

コロナ禍によって人と人の距離を極端に取るようになってずいぶんになる。ニンゲンがニンゲーーーンになってしまった。歴史的な人間の営みの全てを破壊するかの勢いで、人間とは何か、なんて哲学的な問いまで浮かぶ。ヒトが生物として無意識に行動する部分すら制限し、人を思い気遣うという大切で不可欠な気持ちを否定されているようでもある。それと、一致団結しなければならない時なのに、旗振り役を全く信用できないという現実が、陰鬱(いんうつ)な空気感を増幅させているようにも思える。

欧州に住む友人から、同居人以外とも会えるようになったとか車に複数で乗車可能になったとか、もろもろの制限が緩くなってきたと聞いたのが5月下旬。東京の友人から、たまに酒を飲みながらたわいのない話をするとか、何でもない雑談をする、ということがいかに意味があったかと繰り返し電話で聞かされたのも5月下旬。国内の緊急事態が解除され、様々な制限が緩められたのも5月の終わりごろだ。今月に入り、さらに制限が緩和され移動の自由が戻りつつある。しかし、思考することなく目的と手段を取り違えた行動も目立つようだ。リーダーも情報もあてにできないんだから仕方ない部分もあるけれど。情けないし理不尽な話だがここは一人一人が踏ん張るしかないかもしれない。

(朝日新聞秋田版 2020年06月27日掲載)

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恐れるべきものは

今年1月、私が舞台関係の仕事をしていた頃に大変お世話になった演出家が亡くなった。3月、その演出家のお別れ会が新型コロナウイルスの感染拡大によって流れてしまった。4月、秋田に来てからも毎年交流を持っていた方が感染し、アビガン投与のかいなく入院して間もなく亡くなってしまった。火葬もままならず、遺族関係者は大変苦労されたようだ。それまで、ニュースで伝えられるただの数字にしか過ぎなかった死亡者数が、一気に現実味を帯び暗い冷たい感触を伴って私にのしかかってきた。

今回のコロナ禍は、他者を恐怖させ格差を拡大し人間の本性を暴き出す驚異の効果を持っていた。恐れるべきはウイルスのはずなのに、他人におびえそれが怒りに転化し、自分以外の誰かを攻撃する人たちが増えている。経済的格差も広がり行き場を失う人も多い。そのせいか、非科学的な言動や行動ばかりがメディアにあふれているようにも見える。うそや無責任が横行し「全力、責任、検証、適正、あらゆる、確認……」、ここ数年ですっかり意味をなさなくなった言葉の数々(私たちにも少なからず問題はあるけれど)。何が適切な対処方法なのか、怪しくなるばかり。たぶん、私も怒りからこれを書いているわけで……よくない、よくない。

(朝日新聞秋田版 2020年05月30日掲載)

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ふれあいの大切さ

社会的距離を適切に取る、というのが現在の新型ウイルスの感染拡大を防ぐ肝である。潜伏期間が長く感染しても無症状や軽症の場合が多いため、感染実態が目に見えにくいからだ。極端に言えば、外出せず他人と接触するなということ。これは、社会的動物と言われる人間にとってかなり厄介な問題だ。経済活動以前に人としての生活、生き方そのものまでもが脅かされる。しばらくの間、一人一人がとても苦しい思いをすることになるだろう。そして世の中も、利己的に自分の都合さえ良ければ他はかまわないという方向に加速するか、相互理解を深め連帯し協力して問題を解決していく方向に向かうのか、歴史的な瀬戸際に立たされているような気もする。

出かける機会を減らして、家でテレビを見ている人たちにせめて少しでも気持ちが和むような番組をお届けできればと考えているが何しろ前代未聞の事態の真っただ中にあって悪戦苦闘中である。

私は今回、ワンニャピアあきた(現在一般公開中止中)で人間のパートナーである犬や猫たちに癒やされてきた。様々な理由で人との関係性が壊れてしまった動物を保護し、人とのつながりを再構築させる場所だ。ふれあうということはいかに大切なことか、社会的動物である私は身にしみて感じた次第。

(朝日新聞秋田版 2020年04月25日掲載)

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親も新しいステージに

3月。卒業、別れの季節だ。ニュースでもこの時期、学校の卒業式の映像が必ず流される。しかし、今年は何ともさみしい様子ばかりである。我が子らの卒業式も中止、あるいは簡素化され、保護者の参列はなかった。子どもたちはいかにも物足りない顔を見せていたが、実を言うと私は式とか会とかにはあまりありがたみを感じていないので、それほど残念には思わなかったというのが本音である。もちろん面と向かってそんなことは言わないけれど。

今年中学を卒業する子らは、小学校入学直前に東日本大震災を経験した。そして今年は新型コロナウイルスだ。親にとっては忘れがたい記憶である。よほどのことがない限り、子どもらには来月から新しい生活が始まる。今はその準備でてんてこ舞いだ。先日もアパート探しに県外まで出かけてきた。私にとっては初めての街で、厳しい日程だったが肝心のアパートもあっさり見つかり、親としてはもう少し検討して決めたいところだったのだが、本人がいいと思えばいいのであった。後は本人がちゃんと学ぶ環境を整えるだけだ。まあ、それが心配のタネなわけだが。私たちも親として新しいステージに立たされた。これから、心配も楽しみのひとつに……できるかなあ……。親は心配する生きものなのだ。

(朝日新聞秋田版 2020年03月25日掲載)

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音楽でよみがえる記憶

秋田市内に雪がほとんどない。こんな冬はちょっと記憶にないが、道路は大変走りやすいので、遠方までドライブをしてきた。私のポンコツ車には、これまた古い音楽プレーヤーがつなぎっぱなしにしてあって、数千曲かけ放題。それには「シャッフル」という楽しい機能があり、設定しておくと誰かが手当たり次第にCDをかけ替えているかのように、アルバムや曲ごとに再生してくれるのだ。たまには気分じゃない曲がかかることもあるが、大抵の場合は偶然の出会いを楽しむ。若い頃、アメリカに滞在した時に持っていった数枚のアルバムも入っている。もっとも、当時はカセットテープだったけれど。

そのアルバムの曲が流れた時、突然その頃のことがよみがえってきた。お世辞にもきれいとは言えないベッドカバー、サイドテーブルの上の散らかった様子、薄汚れた壁、その部屋の匂いすら感じるほど鮮明に頭の中に浮かんできたのだ。「こりゃすげぇ!」。車のハンドルを握りながら、思わず声に出た。

思い出したこと自体にひどく驚いた。記憶とはこんなにも音と結びついているのか! 何でもかんでも忘れっぽくなっているこのごろ、大した理由はないにせよ、何かを思い出すっていうのは「イイこと」のように思えたのだが……、年を感じた如月。

(朝日新聞秋田版 2020年02月26日掲載)

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