社長ブログ

2021/03/09

10年前の傷あと | 桜井 元

 東日本大震災から10年。節目の年なので、放送局も新聞社も、特集を組む。深夜に過去の番組が再放送される。津波が押し寄せる場面をヘリコプターからとらえたNHK、毎日新聞、自衛隊などの映像も久しぶりに見た。

 あの日、テレビ朝日系列の東北ブロックで共同運航を委託していたヘリコプターは、格納庫の中で揺れた。が、後ろの2機は互いにローターなどがぶつかって、飛べない。1機だけ飛べると判断され、停電のためシャッターを切って、格納庫前へ引っ張り出された。2人が乗り込んで、ローターを回そうとした時、管制塔から「津波が来るので空港ビルへ避難せよ」と指示が出た。

 一通の始末書を書く勇気があれば、上空へ「避難」するのが、最善の道だった。どこかでカメラマンを乗せていれば、NHKや毎日新聞のように上空から波頭に迫ることができたはずだ。でも、素直に管制塔の指示に従ってしまった。そして、ヘリコプターはがれきとともに流された。

 仙台の東日本放送(KHB)では毎朝、立ったまま局長の打ち合わせを続けたが、数日後、秋田出身の技術局長が「ヘリが見つかりました」と写真を手に報告した。写真を見て、みんな黙り込んだ。

 震災で、みんな大小さまざまな傷を負った。被災地へ派遣された自衛官の中にも、心が傷ついて通院した人が少なくない。肝臓をやられて早世した同僚、カメラマンを辞めた人もいる。

 私の傷はとても軽微だが、自宅で割れたり壊れたりした品物の中には、ベルギーやドイツで買った陶器の人形もあった。会社では、後ろのキャビネットが飛んできて、机のわきに積んであった名刺整理箱が割れた。ふだん乱雑な机の上に何もなく、ガラスの破片だけがキラキラ光っていた。会社に向かう車の中で地震に遭遇したが、もし、そこに座っていたら、けがをしただろうと言われた。

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