社長ブログ

2021/02/16

鴨下さんの言葉 | 桜井 元

 TBSテレビ(旧・ラジオ東京~東京放送)の常務取締役、相談役などを歴任された鴨下信一さんが10日、亡くなった。85歳だった。プロデューサー、演出家として知られ、「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」などドラマの名作を次々に世に送り出した。

 鴨下さんの話を伺ったのは2013年12月、放送人の会と上智大学メディア・ジャーナリズム研究所が共催した「第16回 放送人の世界――鴨下信一・人と作品」というセミナーの初日。「岸辺のアルバム」(1977年、脚本・山田太一、プロデューサー・堀川とんこう)の最終回や「女たちの忠臣蔵」(1979年、脚本・橋田壽賀子、プロデューサー・石井ふく子)の映像を流しながら、秋田県出身でTBSを飛び出してテレビマンユニオンをつくった今野勉さん(放送人の会・会長)が聞き手をつとめた。

 鴨下さんは、もともとバラエティや音楽番組のディレクターだった。ところが、40歳を目前にして、網膜剥離で右目失明のおそれがあると診断され、約40日間入院するなど、1年近く仕事を休んだあと、ドラマの演出が中心となった。
 「岸辺のアルバム」は、多摩川河畔の一戸建てに住む家族が、母(八千草薫)の不倫を軸に崩壊、再生を目指すドラマ。1974年の多摩川水害が背景にあり、実際に流れ出す住宅の報道映像も使われた。「それ以外に、濁流の場面は、中継車を出して私的に撮りだめていたんですよ」
 「衣装はね、八千草さんも連れて、渋谷東急(百貨店)で買いまくった。1枚3000円ぐらいの服を」。リアリティにこだわり、稽古は長くなった。「台所(の撮影)はたいへんだった。娘役の中田喜子さんは、コップの牛乳を洗うのに30分かかった」
 電話のベルにおびえる場面は、ヒッチコック監督の映画「ダイヤルMを廻せ!」(1954年)がヒントになった。「電話のとり方も、自分でやってみせた」
 「演出は、そう好きな商売じゃない。編集マンをやりたかった。でも、イノベーションが始まって、自分で電子編集がやれるようになった」「今のドラマより編集がうまい。音楽の入れ方もうまいと思う」

 鴨下さんは下町育ちで、祖母に歌舞伎、映画、藤原歌劇団、鈴本演芸場へ連れていかれた。東京大学文学部美学科で歌舞伎を研究。「歌舞伎の評論家になりたかった」という。
 豪華女優陣の出演で視聴率42.6%を獲得したドラマ「女たちの忠臣蔵」では、時代考証を依頼せず、自分で100冊ぐらいの本を読んだ。「時代考証の先生をつけると『それは分からないからやめてくれ』とクレームをつけられる。自分で調べればいい。たとえば、浪士たちがどうやって外から雨戸を開けるか。『仮名手本忠臣蔵』の九段目に1ヵ所だけ、弓を使う方法がちゃんと書いてあるんですよ」

 「みんな映画のことを知らない。芝居のことを知らない。テレビ局はこんなに文化程度が低いのかと思ったよ」「映画関係者5、60人の前で講演して、『黒沢明を観たことがある人』とたずねたら、7、8人しか手を挙げなかった。若い人は映画を観ないね。もっと勉強してほしい」

 「本(脚本)がいいと、カメラ割りは3時間でできちゃう。本の良さを1~2段階上げるのが、演出家のつとめ」
 プロに徹したテレビ界の先輩が、旅立った。

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