社長ブログ

2021/02/10

ポルシェのトラクター | 桜井 元


(撮影・大平和人さん)

 

 ちょうど30年前、1991年6月から2年間、ドイツの国際放送ドイチェ・ヴェレ(DW)へ語学研修を兼ねて派遣された。いまのDW本社はベルリンだが、当時はケルンにあり、ボンの北のはずれから片側4車線、速度制限なしの自動車専用道路アウトバーンを25㌔余り、中古のベンツで通勤した。

 いつも遅い方から2番目の車線を約150㌔で走行。隣のBMWに抜かれた、と思ったら、その向こうをヒュンと音をたてて、ポルシェに抜き去られたことがある。

 

 あのポルシェが、農業用のトラクターをつくっていたとは知らなかった。

 

 大学の先生が訳した『ドイツ農業史』(フォルカー・クレム編、大月書店)によると、「第一次世界大戦後、ドイツ農業でおこった最も重要な技術的変革に数えられるのは、トラクター使用の開始である」「2つの帝国主義的世界戦争の間に、ドイツの車両工業もトラクターに多くの技術的改良をもたらした」「1930年代のはじめには、米国と比較してかなり小さい車両工業が105種類の型のトラクターを製作していた」とされる。

 ナチスの農業振興策に従って、フェルディナンド・ポルシェ博士がトラクターを設計したのは1937年らしい。しかし、第二次大戦勃発で、生産ラインは軍需用に集中した。

 戦後も自社ではトラクターをつくらず、ライセンス生産の形で委託。1956年以降、大手機械メーカーのマンネスマンが製造権を握り、「ポルシェディーゼル」のブランドで7年間に約12万5000台を生産。高価だったため、対米輸出は約1000台にとどまった。

 日本では1962年に井関農機が輸入・販売権を得て4年間、ポルシェディーゼルを売り、1964年からは同じような機能を持つ国産トラクターを製造した。何台輸入されたかは定かでない。

 ポルシェディーゼルの赤い車体は、今も人気があり、プラモデルやミニカーが売られているほか、時折オークションにも登場するという。

 

 このポルシェのトラクターが北秋田市に、動く現役の形で残されている。一級陸上無線技術士でもある報道制作局の小野裕介ディレクターが、「技術屋のこだわり」でコロナ禍の中、有限会社サトウの佐藤幸生社長(70)の「トラクターへのこだわり」を取材し、番組「トラクターコレクター」をつくった。その中に“脇役”の1台として登場する。

 「トラクターコレクター」は13日(土)午後2時半から放送します。ナレーターは当社のベテラン和気徹児さん。ぜひご覧ください。

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