社長ブログ

2020/12/22

あの時も東北では秋田が最少だった 100年前のウイルス感染症 ㊤ | 桜井 元

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で7月末まで3ヵ月半の間、47都道府県の中で唯一「感染者ゼロ」を続けた岩手県が、いつの間にか秋田県の3倍を超える感染者を出している。感染者が2ケタにとどまるのは、秋田県と鳥取県だけ。川反の「クラスター」もなんとか拡大を食い止めている。
 
 1918年から1920年にかけて世界中で猛威をふるった「スペイン風邪(インフルエンザ)」の時も、秋田は東北で最も感染者の少ない地域だった。
 秋田魁新報など地方紙の記事、各地の公文書、軍の記録を丹念に調べた速水はやみあきら元慶応大学名誉教授(経済史・歴史人口学)の著書『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』(藤原書店、2006年)によると、1920年にピークを迎えた「後流行」では、4月の時点で秋田県の感染者は2192人、死亡者は217人。東北で最大の被害を出した福島県の約10分の1、東京や大阪に比べると、患者数で0.5%、死者は2%にとどまった。
 スペイン風邪は、第一次大戦に従軍した軍人から世界に広まり、国内でも陸海軍の拠点から感染が広がった。秋田には陸軍の歩兵第17連隊があり、患者も出しているが、連隊の上部に位置する第8師団(弘前市)などに比べて軍人の数が少なかったため、爆発的な感染には至らなかった。また交通の要衝でもなく、人の行き来が活発ではなかったことが被害拡大を防いだ。

 スペイン風邪は、「スペイン発」ではなく、米国中西部の兵営で発生したとも、中国南部由来のウイルスだったとも言われるが、確たる証拠は見つかっていない。
 ただ、その威力はすさまじく、速水さんによると、死者は世界で4000万人(第一次世界大戦の4倍)、国内(内地)では45万人(関東大震災の5倍近く)に達した。これほどの被害を出しながら、歴史的にあまり注目されて来なかったのは、世界では第一次大戦の陰にかくれ、国内では1923年9月の関東大震災の被害の映像・写真の印象が強烈で、「絵にならない」ウイルス感染症は忘れ去られたようだ。

 速水さんの本は今春、秋田ロータリークラブの前会長・佐藤裕之さんに紹介していただいた。ただ、当時は品切れで、古書のサイトを検索すると、定価の2倍以上の値段がついていたので、買うのは諦め、同僚が見つけてくれた国際日本文化研究センター(速水さんは同センター名誉教授もつとめた)の英訳で、秋田の被害を確認した。その後、コロナ感染拡大に伴って10回増刷されて今は第14刷が出ており、一時は都内の書店に平積みされた。
 書名の副題は「人類とウイルスの第一次世界戦争」。文化勲章も受けた速水さんは昨年12月、「第二次世界戦争」を見ることなく亡くなった。しかし、本文の末尾に、コロナ禍を予言するような言葉を残している。少し長くなるが、そのまま引用したい。

 「結論的にいえば、日本はスペイン・インフルエンザの災禍からほとんど何も学ばず、あたら45万人の生命を無駄にした。『天災』のように将来やって来る新型インフルエンザや疫病の大流行に際しては、医学上はもちろん、嵐のもとでの市民生活の維持に、何が最も不可欠かを見定めることが何より必要である。つまり、まずスペイン・インフルエンザから何も学んでこなかったこと自体を教訓とし、過去の被害の実際を知り、人々がその時の『新型インフルエンザ・ウイルス』にどう対したかを知ることから始めなければならない。なぜなら、人類とウイルス、とくにインフルエンザ・ウイルスとの戦いは両者が存在する限り永久に繰り返されるからである」

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