社長ブログ

2018/09/14

もし、教員になっていれば…… | 桜井 元

 40年近くも前のことだし、手前味噌になってしまうが、新聞社から内定をもらう前、大阪府の英語の高校教員に合格していた。「人を育てる仕事は大事だ」と考えていた。

 新聞社の内定をもらって、まず、民放の部長をしていた高校の先輩に電話した。その助言にしたがって、役員面接を終えたばかりの民放2社を辞退。「新聞記者か教員か」と迷いながら、高校のクラブの顧問の先生に電話で相談した。

 「人を育てるのは大事と言っても、現実には高校の場合、3年周期で同じようなことを教える。その繰り返しだと思うこともある。新聞記者の方が、変化があって面白いんじゃないか。もし、記者に向かないと思ったら、30歳までなら、教員になれるよう助けてやる」

 先生の言葉で、進路は決まった。

 そんな昔の経緯を思い出したのは、8月11日に70歳で亡くなった外山純さんの「お別れの会」に出席した9日のこと。外山さんは、秋田商業高校サッカー部の監督、同校長、秋田県サッカー協会の副会長を歴任。校長を退任後、秋田フットボールクラブ㈱(現・㈱ブラウブリッツ秋田)の初代社長に就任された。

 田嶋幸三・日本サッカー協会会長の涙に始まり、「お別れのことば」に立ったのは7人。最後は、いま秋田商サッカー部監督をつとめる小林克さん。原稿をほとんど見ないで、外山さんの遺影に語りかけた。「サッカーだけを教えようとするな。一人前の社会人に育ててくれ。先生から厳しく指導されました」

 教育者らしい言葉に触れた。「外山さんが生前、7人を指名したのかも知れない」と、その人柄や影響力を思った。

 時々「もし、教員になっていたら」と想像する。吹奏楽の顧問は、ちょっとやってみたかった。大阪府の高校教員だったら、間違いなく、秋田に住むことはなかっただろう。

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